空色勾玉

『空色勾玉』

 荻原規子 作

 1996年

 徳間書店

 

 

先日、新聞に面白い記事を見つけました。「英訳で浮かぶ味 村上春樹と司馬遼太郎 米翻訳者が語る日本文学への視点」https://www.asahi.com/sp/articles/DA3S13801525.html との見出しで、「国際文芸フェスティバルTOKYO」の一環として行われた米翻訳者によるトークイベントについて書かれていました。

 

 

 

登壇者の言葉には「あまり日本っぽくないもの、日本の風景がぷんぷんしないものを意識的に選ぶ。米国の読者には歓迎されないから」「日本語は表面に出てこない意味が隠れていて、繰り返しが多い。そのまま訳すとフラットでくどくなる」とありました。 

 

 

 

だとすると、『空色勾玉』は米翻訳者泣かせの小説といえるとおもいます。

 

なぜなら、日本の神話がベースになっていますから、「日本の風景がぷんぷん」どころかまるごと「日本」だからです。

 

その上、日本語らしい表現が盛りだくさん!例えば、勾玉の「空色」は「乳色がかった青。春の空を見上げたときの、淡くやさしい色」なんて表現されているのですから。

 

 

 

しかしながら、「翻訳されない」=「優れた文学とは言えない」などという等式は成り立たないと思います。

 

多様な言語に訳され、民族や宗教の違いによって築かれた壁を、鳥のごとく軽やかにとびこえていく文学がある一方で、独自の言語ならではのリズムやニュアンスを持ち、生まれた土地にしっかりと根をはった樹木のような文学もあるのです。

 

 

 

『空色勾玉』は後者にあたるわけですが、こういった文学も広く世界に広めるには…視覚障害者を対象とした「音訳」をアレンジしてみたら良いのではと思います。

 

 

 

その「『音訳』とは」、と続けるとだいぶ長々とした文章になりますので、この先はまたの機会にいたしましょう。